なんの脈絡もなく…なのですが、突然ある音楽や フレーズが頭の中に浮かぶことがありませんか?
なぜ今これが?ということだったり、自身が子供の頃の記憶の中から蘇ってくるものも多いのですが、先日私の頭に浮かんでしまったのが これなのです。
【出典・YouTube MIYUKIKEORI 公式チャンネルより】♪ミユキ ミユキ ミ~ユキ ミユキ…
これを聴いて『懐かしい!』と思った方。
はい、私と同年代ですね(笑)
私が小学生だった昭和50年(1975)前後の日曜日は、このTV番組から1日が始まっていたという印象が強くあります。
当時は大人も子供も 土曜日が半ドンという状態で、ゆっくり1日休めるのが親も子供も日曜日か祝日でしたよね。
半ドンとは、半日休みであること。またその日。半休。
半ドンの「半」は「半分」の意味、「ドン」は「ドンタク」の略である。
ドンタクは、オランダ語で「日曜日」「休日」を意味する「Zondag(ゾンターク)」に由来する。土曜日が半日が休みだったことから、半分のドンタクで「半ドン」と呼ばれるようになり、半日休みをいうようになった。
【語源由来辞典より引用】
朝もゆっくり起きて、そのあとTVを楽しむといったご家庭も多かったのではないかと思います。
そんなことから、私が小学生の頃 昭和50年(1975年)の日曜日にはどんな番組を見ていたんだっけ?と思い、懐かしく当時を思い出しながら 見ていたTV番組を回顧していこうと思います。
昭和50年の日曜日に見ていたTV番組
今回調べたのは、実際に私自身が見ていた番組です。
同世代でも、『これは見ていなかったな…』という番組もあるかもしれませんし、地方局によっては曜日や時間の展開が違うかもしれません。
しかし、同世代であれば 番組名や放送内容には記憶があり、懐かしいと感じるのでは?と思います。
一日の番組視聴の流れ
番組によっては、時期で放送時間等の変更はありましたが あくまでも私が見ていた昭和50年時点での番組です。
【午前】
- 9:30~10:00
ミユキ野球教室 - 11:00~11:55
スター誕生
【午後】
- 12:00~12:45
大正テレビ寄席 - 12:45~13:15
目方でドーン! - 13:15~14:10
TVジョッキー
【夕方以降】
- 17:20~18:00
笑点 - 18:00~18:30
てんとう虫の歌 - 18:30~19:00
サザエさん - 19:00~19:30
アップダウンクイズ - 19:30~20:00
カルピス子供劇場 - 20:00~20:55
オールスター家族対抗歌合戦
ここまで調べていて、14:00頃から夕方までの時間に これといって印象に残っていたような番組が思い出せませんでした。
それはなぜ?
と 考えて思いあたったのは、現在もそうですが その時間帯は野球のデーゲームやゴルフ、競馬などの放送に当てられることが多かったのでは?ということです。
もしくは、母について買い物にでも出かけたり 近所の友人と遊んでいたのか?
そのあたりから、印象に残る番組がなかったような気がします。
それぞれの番組を回顧
それでは、既出の番組それぞれが どんな放送をしていたのか。
思い出しながら調べてみました。
順番に挙げていきますね。
ミユキ野球教室
野球評論家と野球関係者により、野球のコーチングや情報を発信していた 日本テレビの番組です。
昭和の時代は、今のようにサッカーや多様なスポーツの選択肢がまだまだ少なくて、テレビでスポーツ観戦をするとなれば、野球やプロレス 相撲がメインだったと思います。
(テレビ東京放送の『日米対抗ローラーゲーム』に出場していた東京ボンバーズの存在も思い出しました。)
当時、やはり巨人軍の人気は圧倒的で 映像や実際に話題になるのは巨人軍の選手が多かった気がします。
この番組が私の当時の実家では、日曜朝の定番のように流れていたために 見ながら野球観戦の知識や選手の名前や顔を覚えたものです。
しかし、やはり『御幸毛織』がスポンサーであったための 件のCMの方が印象が強い…という同世代は私だけではないと思います。
思い出すために、Wikipediaを眺めていたのですが アナウンサーとして石川牧子さんの名前が記載されていたことも 懐かしく感じました。
石川さんの風貌は、何故か今でも思い出すことができます。
スター誕生
数多くの昭和のスターを生んだ 公開オーディション番組で、ここからデビューの足掛かりを作った芸能人では 今も活躍されている方がいらっしゃいますね。
有名なところで言えば、初代チャンピオンになった森昌子さん 山口百恵さん 桜田淳子さんの『花の中三トリオ』や小泉今日子さん、中森明菜さん。
ピンクレディーもここからデビューの道を進んだのですが、平成以降の生まれの方には『誰?』な芸能人も多いかもしれません。
渋谷哲平さんとか城みちるさん、新沼謙治さん…
昭和生まれには懐かしいスターがたくさん生まれています。
このオーディション番組には、視聴者が応募はがきを送ることで参加ができたのですが、500~700枚ものはがきから一次予選・二次予選で30名に絞られた後でのテレビ予選会へ出演。
そこで合格をもらえたあとでの決戦大会、決戦大会での合格…と道のりはかなり厳しい状況でしたが、『自身もスターになりたい』という中高生の若年層も取り込んだことから、のちの『花の82年組』というアイドル誕生にも繋がったのだと思います。
松田トシさん 阿久悠さん 都倉俊一さん 森田公一さん…と昭和の音楽界の重鎮ばかりでした
司会者は、萩本欽一さんが印象深いですね。
(タモリさんや坂本九さんが司会の時期もありました。)
番組の最後で、合格者が出た時には 欽ちゃんの合図で観客席と共に「バンザーイ!」をするのですが、合格者が出ないことも多く その時には「バンザーイ…ナシよ。」でエンディングをしていました。
大正テレビ寄席
テレビ朝日系列で放送されていた寄席番組で、司会の牧伸仁さんがウクレレを弾きながら「あ~あ やんなっちゃった…」と歌っていたのが印象的でしたね。
その歌と一緒に、ポロンポロンとウクレレを鳴らしながら 漫談を披露していました。
『大正製薬』の提供だったことから『大正テレビ寄席』との番組名でしたが、当初は『日本製麺』の提供だったそうです。
(もしかしたら、子供番組『ロンパールーム』のパロディだったのかも…)
その中で、「まーた ひらいて…」の歌詞で 膝をパカッと広げるジェスチャーがあり、学校ではクラスのお調子者の男子が真似していたというのは、私の近辺だけでしょうか?(笑)
この、大正テレビ寄席では落語家や漫才師、コントやコミック的なものを披露する芸人が多く出演していました。
横山やすし・きよし、レッツゴー三匹も記憶にありますが、『ザ・ドリフターズ』がコミックバンドとしての地位を築いたのも この大正テレビ寄席でした。
そしてもう一つ。
子供だった私の記憶に刻まれているのが、『東京コミックショー』のショパン猪狩さんの芸がいつも『三蛇調教』が披露していたのも この番組。
インド人と思しき派手な衣装で 三色の蛇のぬいぐるみを笛を吹きながら登場させるコントやマジックをしていたんですよね。
懐かしいなぁ…『レッドスネーク、カモーン!』のセリフも、懐かしいです。
覚えている方、いらっしゃいますか~?
目方でドーン!
視聴者参加型の番組で、日本テレビが放送していたテレビ番組です。
1975年に放送開始だったんですね。
3組の夫婦が制限時間内(3分間)に スタジオ内に並べられた様々な商品(雑貨や家電など)を選び、その総重量が女性の体重と±3kgであれば 獲得できるというゲーム的なもので、司会のレッツゴー三匹がコミカルに演出していました。
商品と女性は 天秤のような秤に乗せられて、±3kgの条件から外れた時は 天秤が大きく傾いていたのを覚えてます。
そして、選んだ商品と体重が一致した時には『ピタリ賞』ということにもなりましたね。
スタート当初のピタリ賞は海外旅行だったそうですが、後に獲得商品と同額の商品券がもらえています。
TVジョッキー
こちらも視聴者参加型の日本テレビ系列の番組ですね。
番組の合間に ジーンズブランドの『EDWIN』のCMが流れていたのも記憶していますが、EDWINのジーンズは参加した人への商品にもなっていました。
もう1つ、視聴者が欲しがった商品は番組のロゴの入ったギター。
ギターは、白・黄色・水色の3色があり『珍人集合』というコーナーの優勝者に送られていました。
珍人集合のコーナーとは
夏場の日焼け大会のような真っ黒人間大会や、馬面大会・毛もじゃ大会などがありましたね。
如何せん、身体の特徴的なものをコンテスト的に評価するコーナーだったので、今の時代のテレビ番組では到底放送できない内容だったと思います。
ちなみに、小中学校で同期の幼馴染が『ガリガリ人間大会』で優勝し、もらったギターは今も大切に持っているとか。
ガリガリ人間大会は
身体(胴)に、一番多くたくさんの輪ゴムを通した人が優勝…でした。
また、昭和だなぁと実感させられたコーナーは 電話帳から無作為に選んだ番号にスタジオから電話をするという『直撃クイズ』コーナーです。
電話に出た方に、突然1問のクイズを出し 正解したら賞金1万円贈呈というものですが、電話帳・個人情報などと、こちらもさすがに今では企画できない内容ですよね。
そんな昭和のテレビ番組のゆるさを感じさせられます。
そんなゆるい視聴者参加型の番組ですが、ギャグやコントなどの一芸披露のコーナーもあり、ここから大きく世に出ることになったタレントも多くいます。
笑点
1966年から長く長く放送を続けている国民的長寿番組です。
驚くことに、まだカラーテレビがほとんど普及していないこの時代から現在まで、番組開始からずっとカラーで放送されていたのだそうです。
ステージでの芸人さんによる演芸と、定番出演者による大喜利の二本立てであり 大喜利での司会者との軽妙なやり取りも楽しかったですね。
現在の視界は春風亭昇太さんですが、初代司会は立川談志さん。
先代の桂歌丸さんや三遊亭円楽さんも印象深いですが、1975年の時点での司会は三波伸介さんでした。
また、メンバーの変遷もある中で 林家木久扇さんは 昭和44年から現在まで出演している 最古参で最年長メンバーです。
ちなみに、「山田くん!座布団持ってきて!」の声で座布団を運ぶ 赤い着物の山田隆夫さんは、昭和59年からの座布団運び6代目。
もう40年近くも座布団を運んでいるのも驚きですが、もともとは劇団から芸能活動を始め その後男性グループ『ずうとるび』でデビューしたアイドルでもありました。
1975年時点の座布団運びは 松崎真さんという 元俳優さんですが、山田君の印象が強くて ほとんど思い出せませんでした…
てんとう虫の歌
『てんとう虫の歌』は『いなかっぺ大将』の作者・川崎のぼるさんの作品で、テレビアニメとしてフジテレビ系で放送、1974年9月までは『科学忍者体ガッチャマン』がこの枠で放送をしていました。
親のいない7人兄弟が、支え合いながら生きていく物語でしたが悲壮な感じはなく、タイトルはナナホシテントウムシの背中の黒点を 兄弟7人にたとえたもの。
また、7人の名前はを上から順に『1週間の曜日』月から日曜日の漢字が使われていました。
兄弟の姓も『一週』でしたね。
しっかり者の 月美(つきみ) 6年生
正義感の強い 火児(かじ) 5年生
メガネの秀才 水男(みずお) 4年生
優しい力持ち 木介(もくすけ) 3年生
腕白ガキ大将 金太郎(きんたろう)2年生
スキンヘッド 土丸(つちまる) 1年生
おませさん 日曜子(ひよこ) 5歳
両親(間太・休美)が動物園で働いていたこともあったのか、一週家にはペットもたくさんいました。
犬の『カラ兵衛』『ソーロク』、アヒルの『カア子』、他にも豚や猫4匹と まさに動物園のようでした。
動物にも声優が割り当てられていて、個性的でしたね。
2003年にDVDが出たようなので、探してみようかな…
末っ子ひよちゃん(日曜子)の言葉の語尾が「~でしゅら」だったことも思い出し、懐かしくなってしまいました。
サザエさん
サザエさんも笑点と並んで、長寿番組ですね。
1969年から放送を開始し、世界で最も長く放送されているアニメ場案組としてギネス世界記録を持っています。
これはもう、説明するまでもない番組ですね。
30分の枠の中で3本のストーリーが展開し、番組のクロージングでは「さーて、来週のサザエさんは…」という次回予告と、サザエさんとのジャンケン。
長く続く番組のため 声優の変遷もありますが、このクロージングは変わらず続いています。
調べてみると、あのジャンケンは1991年10月20日以降に始まったようですね。
それまでのエンディングでは、お菓子の投げ食いをしていたサザエさんが のどに詰まらせて「んがっ、ん…ん…」と言わせるシーンでしたが、実際にそのような食べ方をしていた小学生の事故がありました。
その為、危険な行為を助長することがないように…とジャンケンのエンディングに変更したとのことです。
日曜の夕方、サザエさんを見終わると「あぁ、明日からまた学校(仕事)か…」と、若干ネガティブな思いにもなる『サザエさんシンドローム』という言葉も生まれましたが、ジャンケンでサザエさんに勝つと「よっしゃ!」という気持ちにはなりますね。
アップダウンクイズ
1963年の放送開始で、毎日放送制作 TBS系列でのクイズ番組でした。
提供の『ロート製薬』のクレジットやCMも番組と共に思い出されます。
このクイズ番組も視聴者参加型で、当時は一般の視聴者が出る番組が多かったんだなぁと感じます。
回答席がゴンドラになっていて、1問正解ごとにそのゴンドラが上がっていき 10問正解でハワイ旅行と賞金10万円が贈られていました。
あの時代に海外旅行と10万円って、一般人にはかなり魅力的だったはずです。
このゴンドラ、不正解やお手付きだと下まで下がってしまい これを2回してしまうと失格。
しかし、回答者が誰もいない問題では敗者復活的に回答権が与えられて、そこで正解すると復活できるというルールでした。
シルエットクイズという、白い幕の向こうに立つゲスト(タレントやスポーツ選手など)の立ち姿の影とヒントから そのゲストが誰であるかを当てるクイズもあり、私はそれが好きでした。
ゴンドラが上下するときに、その動きが全くスムーズではなくてガタガタする感じで、昭和のTVセットを感じさせるものでしたが、子供心に「あれに乗ってみたいな」とも思わせるものでした。
カルピス子供劇場
このアニメシリーズを見ていた昭和生まれは多いはず!
世界名作アニメ劇場ともよばれ、同時期に放送されていた『まんが日本昔話』とは対極の雰囲気を醸し出していました。
『あらいぐまラスカル』や『母を訪ねて三千里』などと、登場人物や主人公がが外国人であったものがほとんどですが、やはり有名なところでは1975時点で放送されていた『フランダースの犬』と、前年の『アルプスの少女ハイジ』ですね!
絵描きを目指す少年ネロとパトラッシュの境遇に泣き、ハイジが寝る干し草のベッドや おじいさんが火でチーズをとろけさせてパンにはさむシーンをうらやましく見ていた子供たちはたくさんいそうですね。
フランダースの犬の最終回については、今見てもかなり泣ける作品です。
オールスター家族対抗歌合戦
1972年開始のフジテレビ系列で放送された歌合戦の番組です。
オープニングでは出演者が皆で『ドレミの歌』を歌い、ダン池田さんがティンパニーを演奏していたのも印象的でした。
歌合戦にチームとして参加していたのは 芸能人や著名人の家族が5組ですが、時期により一般募集の家族が1組出たこともありました。
司会は萩本欽一さんで、この時期の欽ちゃん人気が伺えますね。
和気あいあいとした歌合戦でしたが、歌とパフォーマンスと 家族が一体となって披露する場面は、「きっとたくさん練習やリハーサルをしたんだろうな。」と思えるものばかり。
審査員も、古関裕而さんや近江俊郎さん、水の江滝子さんとこちらも音楽界の重鎮ぞろいでした。
同世代の方なら覚えている方もいらっしゃるでしょうし、古いVTRで見たことがあるかもしれませんが、東八郎さん家族の出場の時には 少年時代の東MAXこと東貴博さんももちろん出演。
一生懸命歌っていましたよね。
他にもこんな番組が…
ここまでは、実際に私が主に見ていた番組を並べてみましたが もちろん他にも懐かしい番組はたくさんありました。
以下に挙げてみますね。
・家族そろって歌合戦 13:15~14:25
1966~TBS系列で放送。
視聴者参加型の家族による歌合戦ですが、チームには『ぞうさんチーム』『うさぎさんチーム』など、動物の名前が付けられていました。
・パネルクイズ アタック25 13:25~13:55
1975~朝日放送テレビで放送。
児玉清さんの司会で始まっていますが、現在の司会は谷原章介さんと こちらも長寿番組です。
・新婚さんいらっしゃい 12:55~13:25
1971~テレビ朝日系列で放送。
司会の桂文枝(当時は三枝)さんの「いらっしゃ~い!」のものまねをする方も多かったですね。
2022からは、藤井隆さんと井上咲楽さんでリニューアルしていますが やはりこれも息の長い番組です。
・おふくろさん 20:00~
日本テレビ系列で、半年の枠で放送。
京塚昌子さんや石立鉄男さん、子役時代の杉田かおるさん出演のホームドラマでした。
京塚昌子さんは、山岡久乃さんと共に日本のお母さん的な女優さんでした。
まとめ
以上、私が子供の頃に見ていた日曜日の番組の1日の流れを振り返りながら調べてみました。
最近のテレビは面白くなくなったとか、テレビ離れの声も多く聞きますが やはり昭和のテレビ番組は懐かしくも面白く、現在までも続いているものが多いことにも驚き納得もしました。
番組によっては一部、YouTubeでも見られるものがありそうですから、ちょっと検索して見ながら 昭和を懐かしんでみようかな…
そんな気持ちになりました。
更に振り返れば 昭和の時代のテレビ番組を知らない世代にも、知って欲しい番組はまだまだたくさん思い出せそうです。